思考停止が引き起こす悪

てびち。

2014年02月28日 18:18



ハンナ・アーレント観てきました☆
久々にシビレる映画だったー

アイヒマン事件という国際法では必ずと言っていいほど出てくる有名な事件・判例。
その裁判を傍聴したユダヤ人女性哲学者のレポート「イェルサレムのアイヒマン」が基になった映画です。
「スペシャリスト」というアイヒマン裁判の映画もこのレポートが基になったもの。


冒頭のシーン、もしかしてすんごく重要でないカニ?(;o;)


どうも酷な出来事は感情的に判断しがち。
それが歴史上、一般的に'悪'と区別されればなおさら。
でもハンナは、そこにひとつの見解を投げ掛けた。
“思考停止による判断の欠如”と“悪の凡庸さ”というものを。
裁判の中で見せるアイヒマンは異常なほどの神経質。
スペシャリストの最後のシーンのように、全然平凡。
みんなが拍子抜けただろうなほど。

いや、でも、面の皮を剥いだら、獣のはず!
あれだけの“悪”を引き起こしたのだから!

そんな中でハンナは、被害者ながら冷静なほどの“彼女的客観性”をもって
「ただ、命令に従っただけ。お役所仕事の一環のごとく“思考停止”で任務にあたってた。
思考停止、悪の凡庸さ、だ」

当時の日常の延長にあった異常な状況は、人に思考停止をもたらす?
それが悪につながるならば、人間の性悪説に通じる感があるかも。。。

うーん、むずかしい。。。
ピラミッドの上部ではない人にとって、上からの命令は抗いにくいわよね。
それがお役所だったらなおさら。
私たちの日常にとって、ありえるこの状況は、
何十年経っても変わらないことを思い知らされる。

恐ろしい。この映画を観て、何度も恐ろしさを感じた。
アイヒマンにはもちろん、アイヒマンを悪者にしたい取り巻き。
裁判もドラマチック。
誘拐か?拿捕か?治外法権は?イスラエル一国が裁いていいのか?
国際法から見てもさまざまな見解があるけど。。。

「考えることで、人は強くなる」

映画の後半では苦悩する彼女がいる。
それは悩んでいるのか、考えているのか…。


ハンナ・アーレントが規定づけた“悪の凡庸さ”は。
今もあちこにちにはびこっている。
だからこその今に投じられた映画なのかもしれない。

しっかしまあ、
ヒットラーの生誕を祝おうとか、アンネの日記や杉浦千畝関連の本が破られるというニュースがあったけど、
なんか穏やかでないわよね。。。
さよなら、アドルフやっぱり観よう!

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